言うべきか言わざるべきか。出木杉は悩んでいた。ちらり、と静香を見やる。彼女は果たして本物の“源静香”なのだろうか。あるいはアルルネシア(多分)が用意した偽物なのか。

 最初は迷わずのび太達に伝えるつもりだったのだ。源静香そっくりの偽物がいるぞ――と。だが。ふとある事が気にかかったのだ。

 

−−そもそもアルルネシアは……偽物を使って何がしたいんだ?

 

 アルルネシアはアンブレラの黒幕。だからアルルネシアの目的とアンブレラの目的はそのままイコールで結ばれる――出木杉はそう考えていた。

しかし、そう決めるのはやや早計だったのではないか?

 さっき自分はのび太達に言った。今になって連中が焦ってのび太達を確保しようとしているのは、アンブレラが一枚岩でないからだという可能性があると。

ならば、アルルネシアの思惑とは別にアンブレラの幹部達が動いている可能性もあるし――逆にアルルネシアが自らの真意を伝えないままアンブレラを動かしているという事も大いにありうるのではないか。

 アルルネシアがのび太を欲しがっているのは、彼女の言動からしてほぼ間違いない。

だが、不幸輪廻因子はともかく完全適合者としての彼に、アルルネシアはどんな用があったのか。

 のび太達を介しての情報。アルルネシアをよく知る基山ヒロトは言ったそうだ――アルルネシアは千年を生きた魔女だと。

つまり彼女は千年あの美貌を保ったまま生き続けているわけで、不老不死に興味を持つとは思えない。

彼女自身が既に不老不死である以上、そのサンプルを手に入れたって特に意味はない筈である。

 まあ不老不死はオマケで(アンブレラの上層部はそう思ってもいないだろうが)純粋にウイルスで強化された手駒が欲しいというならまだ分かる。

だが、それだけが目当てにしては、今までの作業がやたら手がこんでやしないだろうか。

 

――アルルネシアが偽静香を送りこんだのは、邪魔なのび太の仲間達を効率よく排除する為…なのか?

 

 その確率は低くない。いずれにせよ真の目的を探るならば、気付いていないフリをして、今後静香を監視する他ない。

今ここにいる静香が既に偽物なら、いずれ出木杉の目の前でなんらかのアクションを起こすだろう。まだ入れ替わってないのなら、入れ替わる為に自分達を分断しにかかる筈だ。

 出木杉が黙っていればいるほど、のび太達に危険が及ぶ可能性は高くなる。だが忘れてはならない。自分達は実験の途中でもあるのだ。そう、幸福な未来へ導く為の。

 のび太を殺させたくない。それは紛れもない出木杉の真実。自分はセワシの味方だが、だからこそ彼の彼の傷を、広げたくないと願っている。

 甘い考えで動いてはならない。リテイクは重ねたくないけれど――最悪、またリセットするだけのことなのだ。

 ゲーム盤の外を知るからこそ。ゲーム盤の中だけの住人達と同じ思考をしてはならないし、そもそも不可能だ。

非情かもしれないが、一時の感情で動いてはならない。独断専行を重ねた自分に言えることではないかもしれないけれど。

 

――新しい情報を得た結果、謎も増えちゃった気がするな。

 

 今回のバイオハザードは事故に見せかけた人災。これはもうハッキリしている。しかし“では何故事件を起こしたか”は未だに曖昧なままとなってしまっている。

 アンブレラの目で考えるならば。一つは、魔女に心酔したオズウェル一派が儀式的な意味でもって起こした事件ということ。

宗教に“何故”を問いかけるのは無意味だ。神が“是”と言ったならば、信者はその意味など考えもすまい。ただ神の意志に従って動くのみだろう。

 もう一つは、はる夫にも語ったように“パフォーマンス”。事件を派手に起こすことで世界にウイルスとB.O.Wの脅威を印象づけ、高値で売り飛ばす。

あるいは、世界をアンブレラの意志で統一させ従える−−後者は俗に言う“世界征服”というヤツだ。

 出木杉は、今回の事件はその両方の意味があったと考えていた。

“儀式”と“宣伝”。アンブレラが内部分裂を起こしていたとしても、大まかに言えばそんな感じだったである。少なくとも“儀式”に関してはほぼ間違いあるまい。

 だが。基山ヒロトの言を信じるならば−−アルルネシアは異世界の魔女。

つまり彼女にとってはこの世界など、彼女の知りうる数多の可能性のうちのちっぽけな欠片に過ぎない筈。

果たしてこの世界で“儀式”や“宣伝”を行うことに、どれだけの意味があったのか。

 この世界そのものに、自分達の知らない大きな価値がある可能性もあるが。

残念ながらこれもまた“情報不足につき確定不能”という奴だ。ただ、ただの気紛れにしてはやたら手間をかけているなと感じるだけで。

 

『宿命の魔術師、野比のび太。貴方が全ての元凶。貴方が引き寄せたのよ……この悲劇も、このあたしの存在もね!』

 

――あれは恐らく……のび太の“不幸輪廻因子”を指した言葉だ。

 

 のび太がその因子を持っていた為、アルルネシアという災厄を招いた。だからのび太に全ての責任があると、そう転嫁しているのか?

 

――ふざけるのも大概にしろよ。

 

 怒りさえ通り越して呆れ果てる。どんな切欠があったにせよ、余所からしゃしゃり出てきて物語を引っ掻き回す張本人にだけは言われたくない。

 出木杉は知っている。この世界が本来なら、ほんの少しの冒険とファンタジーがある、しかし基本的には割合平和な場所であったことを。

ドラえもんがいて、のび太がいて、友人達がいて、馬鹿馬鹿しいことで泣いて笑って。それで良かった筈だ。それが世界を作ったモノの意志であった筈なのだ。

 それなのに。その平穏無事な世界に――外からやってきて小石を投げた“どっかの馬鹿”がいたのである。

完成された物語に、余計な異分子〈オリジナルキャラクター〉など必要無かったのに。アルルネシアは完璧だった盤面に、無理矢理自分という駒を置くことで狂わせたのだ。

 いや。駒をただ置くだけならまだいい。その実大量に発生しているであろう航海者達は皆そうやって世界に踏み込んできているわけだから。

ただ置くだけで、完成された棋譜に殆ど影響を与えないならば問題にはならない。多分それがヒロトや綱海の言う“干渉値を守る”ということだろう。

異分子たる航海者〈オリキャラ〉達は、本来存在する駒達をサポートするだけの、目立たないポーンでなければならない。ならなかったのだ。

 ところがアルルネシアは、最初にいた本来のクイーンを蹴落とし、自らがその場に居座り、好き勝手にゲームを動かし始めた。

その結果、ロジックエラーが起きたのだ。完成されていた物語は破綻し、本来とられなかった筈の駒がとられ、ゲームそのものが成り立たなくなり――チェスそのものが破壊された。

 ルール違反なんてものじゃない。棋士の誰もが非難する筈だ。無かった筈の場所に突然クイーンが出現し、ゲームを荒らしに来るだなんて。

 

――基山ヒロト、綱海条介、緑川リュウジはその為にこの世界に来たんだろう。

 

 荒れた盤面を修復する為に、さらなる異分子〈オリキャラ〉を投入しなければならないなんて、なんとも皮肉な話だが。

 しかし、綱海は既に盤面から退場し、ヒロトは生死不明。

あと残る異端な駒は出木杉が知る限り緑川リュウジだけである。

果たしてこれは彼らの側からするとどこまで想定の範囲内だったのか。それに、彼らがどこまで真実を語っているかもその実ハッキリしていない。

 悲しいことだが、人間には真の意味で“猫箱”を開く術は持たないのだ。それこそ“赤”で真実を語れる魔女でも現れない限りは。

 

「この先ですか」

 

 爆破された壁の大穴を覗きこみ、聖奈が言う。瓦礫の向こうには階段があった。間違いないよとスネ夫が言うので、一堂は慎重に階段を登っていく。

 此処が瓦礫で埋まっていたのは何故なのだろう。自分は土木作業の関係に明るくないが、多分この坑道はかなり丈夫に出来ている。そうでなければブラックタイガーを配置することなど出来ないだろう。

いざと言う時研究所を封鎖する仕組みがあったかもしれないが、そうでなければ地上と研究所を繋ぐこの坑道はライフラインに等しい。偶発的な事故で簡単に埋まって貰っては困る筈である。

 それが崩れていたのなら。その“いざという時”のシステムが働いた、あるいはマニュアルに則り、誰かが道を塞いだのではないだろうか。

その影響で地盤が脆くなり、ブラックタイガーの最後の抵抗で地面が崩れたのでは?それが出木杉の予想である。

 問題は。果たして地上と研究所、どちらが“危険”と判断されたのかということ。

可能性は二つあるのだ。即ち“地獄絵図と化した地上からアンデット達が降りてこないようにする為”か。“研究所の危険なB.O.Wが外に出るのを防ぐ為”だ。

 

――もし後者だとしたら。

 

 自分達は開けてはならぬ地獄の釜の蓋を開いてしまった可能性がある。どちらにせよ前に進むしかない現状ではあるけれど。

 

「……出木杉。一つハッキリさせろや」

 

 階段を上りながら、武が言う。

 

「お前は俺達の味方になったと思っていいのか?」

 

 皆が足を止め、出木杉を振り返る。当然の質問だ。だから出木杉は答えた――偽りなく。

 

「僕は……セワシ君の味方だよ。でも、だからこそセワシ君を止めたい」

 

 のび太と真正面から向き合って。出木杉は思ったのだ。

彼は死ぬべき存在じゃない。自分達が最初から願ってきたことは、間違いなどではなかった、と。

それは個人の感情だけではない。世界の救済を望む者として、半ば使命感に近い形でもそう思うのだ。

 

「のび太君を救うことは……本当はセワシ君を救うことに繋がるんだ。僕は僕の役目は真っ当しなきゃいけない。

でも……今はもう、それだけじゃないから」

 

 機械の自分に、与えられた心。心があると感じるのは、本当はおこがましいのかもしれない。プログラムに則った信号がそう錯覚させているだけかもしれない。

 でも自分は。0と1の狭間に確かに真実は潜んでいる筈と、そう信じている。

だから、自分も従いたい。のび太と同じように−−心が命じるままに。

 

「今の僕にできることは多くないけど。それでも……一緒に戦わせてくれないか」

 

 出木杉がそう告げると。スネ夫がツンとそっぽを向いて言った。

 

「足手まといになるなよな!ふん!」

「お前それ言ってみたかっただけだろ」

「バレた?だって出木杉にデカい顔出来る機会なんか滅多にないじゃんか。勉強でも運動でもパーフェクトでさー。僕が勝てるのは経済力と気品だけでー」

「うっわ久々に来たぜイヤミ。しかも誰に気品があるって?俺の空耳か?空耳だよな?」

「いたっ!痛いよジャイアンー!」

 

 武に頭をグリグリされ、悲鳴を上げるスネ夫。静香と聖奈はそれを見てくすくす笑っている。

 

「歓迎するよ」

 

 のび太も笑いながら言った。

「最初から僕達は仲間なんだから」

 

 出木杉は思う。その一言がこんなにも温かいのは、一体何故なのだろう?

 

 

 

九十一

 味方

〜その是非をう〜

 

 

 

 

 

回って、回って、回り疲れて。