――西暦1995年8月、地下坑道・最深部。
仕掛けを解くと前に進めます、はRPGのお約束である。スネ夫が“此処だ”という場所に研究所の入口らしき扉はない。
代わりにあったのは、西洋墓地を連想させる三つの石碑だ。
「趣味悪ぃ。面倒くせぇ。ぶっ壊してぇ!」
「私達の言いたいこと全部代弁してくれてありがとうございます」
武が思わず三連チャンで不満を叫ぶと、うんざりした顔で聖奈が言う。
実は彼女、もの凄く気が短いんじゃないかと気づいたのは最近である。見た目からは全く想像がつかないというのに。
墓石モドキを蹴り飛ばしたくなる衝動を押さえ、武はそいつを観察する。
掠れたアルファベットで何か書いてあるようだが、飾り文字な上武の頭ではそれが何語かさえ分からない。まあアンブレラはアメリカの企業。多分英語だろう。
「普通のロックにすればいいのにね」
太郎が至極真っ当なことを言う。
「だって此処通るたびに、ギミック解除しなきゃいけないんだよ?面倒なだけじゃない」
「面倒だから意味があったんじゃないかな」
意外にも出木杉が反論する。
「アンブレラの研究施設のいくつかは有名だ。ハイブ……蜂の巣と呼ばれる地下研究施設は、半ばアンブレラの都市伝説になっている。
本当にそんな施設があるかは分からないけど、火のないところに煙は立たないから……全部嘘じゃないと僕は思ってる」
「どんな施設なの?」
「螺旋を描くように通路が張り巡らされていて、とにかく……迷子になりやすいんだってさ。だからこっそり侵入してもこっそり抜け出そうとしても上手くいかない。
よほどとんでもない研究してたんじゃないかって言われるくらい、防犯対策が過剰らしい。
研究者達も、泊まり込みで仕事をしていて滅多に外に出れないんだって。…機密を守る為にね」
どうやら迷子になりやすい構造は、研究者達が勝手に抜け出すことを防ぐのが最大の目的らしい。
武は眉を潜める。いくらなんでも悪趣味すぎだ。まるで監獄ではないか。
「まあ……これはさっき言ったように、事実かどうかはハッキリしないんだけどさ。
ひょっとしたらこんな手間のかかるギミックも、“そっち”が本当の理由じゃないかと思ったわけだよ」
「研究者が外に行きたがらないようにするため、か?」
「殺人兵器を作ってますなんて、バレたら洒落にならないからねぇ。
ましてや日本はそのあたりかなり過敏に反応するだろうさ。外より中の敵の方が怖いケースも結構多いもんだ」
そういうものなのだろうか。武は墓石モドキを見やる。そんなに手間暇かけて隠すくらいなら、最初からウイルス兵器なんて作らなければいいのにと思う。
「……絶対楽しくねーだろ。裏切りやらなんやらにビクビクして、閉じこもって研究してたって」
思うだけのつもりだったが、口に出ていた。武は拳を握りしめる。
子供だから理解出来ないのかもしれない。でも子供だからと、それだけで片付けられるのは嫌だった。
大切なモノが、守りたいモノがあるのは大人も子供も同じ。
「金がそんなに大事かよ。自分が儲かればそれでいいのかよ。
そんなことの為に……みんなを不幸にする研究なんかやる奴の気が知れねぇ」
自分だけ潤えば。自分達だけ稼げれば世界がどうなろうと構わないと――アンブレラの連中は本気で思っていたのだろうか。
だとしたら自分は一生、アンブレラを許せない。魔女がいなくなっても、自分はアンブレラを潰す為にあらゆる手を尽くすだろう。それが正しいか否かに関わらず。
「……違うんじゃないかな」
だが。意外にものび太がそれを否定した。
「僕……金田さんとアルルネシアの会話、途中までだけど聴いてたからさ。だから、思うんだ。
アンブレラは元々薬を作る会社だろ。ウイルスを治療薬に使うつもりだったんだ。
人を救う為に研究していた人達が、そう簡単に真逆に方向転換出来るのかな。
道を間違えたってさ……お医者さんはやっぱりお医者さんで、お巡りさんはお巡りさんだって僕は思うし」
医者は医者。警察は警察。確かに一理あるかもしれない。
全てが本人の意志でなくとも。医者になる者は人の命を救うことを、警察官になる者は誰かを守ることを願って――その道を志した筈なのだ。その気持ちは、そう簡単に失われてしまうものなのだろうか。
いや。人間は意外としぶとい生き物だ。腐っても腐りきれないところがどこかに残る生き物なのだ。そう思えば思うほど、のび太の考えが正しく思えてくる。
「それに。今なら大人の人達がお金を稼ぐのに一生懸命になる気持ち、ちょっとだけ分かる気がするんだ」
「え?」
「だって。会社で働いてるオジサン達の多くが……誰かのパパなんだよ。家族を守ってる人達なんだよ。
家族の生活を守る為にお金は要るじゃないか。子供を守る為ならパパやママは何だってしてくれる。当たり前すぎて、僕達が気付けなかっただけで」
当たり前に、そこにあった愛。自分の母を思い出して、不覚にも泣きそうになる武。
すぐ手が出るし、怒鳴るし、面倒事は押し付けるし。本当に怖い母だった。
でも、大好きだった。愛されているのが当たり前すぎて、自分達はどれだけ多くのことが見えていなかったのだろうか。
金儲けは悪いことではない。親達は子供の為に必死でお金を稼ぐのだから。お金がなければ、我が子の給食費さえまかなえない。
「そんでもって……会社の偉い人達はさらにがんばんなきゃいけないんだよな。
自分達が頑張って会社を潤さなきゃ、会社で働いてる人達みんなが路頭に迷うことになる」
財閥の令息として、会社社長の一人息子として。思うことがあったのだろう。スネ夫が呟く。
「僕んちは……まあ結構お金持ちだとは思うけどさ。ひいじいちゃんの代は大したことなかったらしいんだよ。
じいちゃんやパパが頑張ってくれたから、会社が大きくなってお金がいっぱい儲かるようになったんだって」
「そうなのか」
「うん。恥ずかしい話だけどさ。僕は選ばれた家の子供だから……お金は使えば使うほど溢れてくるって思ってたんだ。
でもそれは、じいちゃん達が頑張って頑張って……稼いでくれたお金だった。努力に見合ったお金だったんだよ。お金って、大事なもんだったんだ」
平和な時には見えなかったことが、今なら見える。
誰もが幸せになる為に必死だったのだ。道をどんなに間違えようと、闇に堕ちようと――それだけは変わらない、真実だった。
きっとのび太は、母を自らの手で殺さざるを得なかったから辿り着けたのだろう。
愛されていたこと、無駄遣いするなと母が起こった理由、勉強しろと煩かった訳。
もう二度と戻らないからこそ、見つめ直せたのだ。当たり前な事がどれだけ恵まれているか、気付くことが出来たのだ。
泣き虫だ弱虫だと蔑んでいた友人の、成長したところをまた一つ見つけて――また一つ、後ろめたさを感じた。
謝らなければと思うのに。そのタイミングを逃しっぱなしだ。
自分の頑固で素直になれない性格を、ここまで恨めしく思ったことはない。武は一人、奥歯を噛んで耐えるしかなかった。言葉に出来ない、今日初めて抱いたその感情に。
「あら?」
石碑の一つを触っていた静香が声を上げる。
「見て、この石……動くみたいよ」
「あ?」
武の目の前で、静香が重そうな石碑をずりずりと横に押して退けてしまう。腕力なんてありそうもない彼女がだ。思わず。
「静香ちゃんって、実は怪力?」
「馬鹿ね、そんなわけないでしょ!見た目ほど重くないのよこの石!」
「武君。デリカシーって言葉、ご存知ですか?」
静香、聖奈と白い目で見られ、思わず言葉に詰まる武である。
スネ夫やのび太が言ったら拳骨一発食らわせたのに、彼女達が言うとそういうわけにもいかない。実はかなりフェミニストな武である。
長い付き合いの静香はともかく。実は自分、聖奈みたいな少し年上で考えが読みにくい女の子、苦手なんじゃなかろうか。もう既に今更と言えば今更なのだが。
まあジャイ子に勝る美人もおしとやかなレディもいるまい。
最終的には当然のごとくそこに着地する武だった。ああシスコンですが何か問題でも?(人、それを開き直りと言う)
「あー……さっき爆弾使った衝撃じゃないの。すっごくラッキー。この下階段だぜ」
スネ夫の言う通り、石の下は階段だった。どうやらここから研究所まで降りていけるらしい。爆弾様々だ、面倒が省けたのは非常に有り難い。
「一人ずつ降りよう。また何か襲って来ないとも限らないし。のび太、先降りて安全確認して来い」
「そう言うと思った。……もーいい加減人をパシるのやめてよね。行くけどさぁ」
命令され、嫌そうな顔をしつつものび太が階段を降りていく。そう長い階段ではないらしく、すぐに下から声が聞こえた。
「大丈ー夫ー!何もいないよ。みんな降りてきてー」
「よし。じゃあ静香ちゃんと聖奈さん。ここはレディファーストだ」
「そうですか?じゃあお言葉に甘えて」
「ええ。ありがとうスネ夫さん」
聖奈、静香が階段を降り、その後ろを守るようにスネ夫が続く。ふと出木杉の視線が気にかかり、武は振り返った。
「ん?どうしたよ出木杉」
出木杉は何も言わない。険しい顔で、今彼女達が降りていった場所を見つめている。否、もはや睨んでいる、が正しい。
「……ねぇ。静香ちゃんの様子さ。なんかおかしくないかい?」
「は?」
何を言い出すのかと思えば。意味が分からず、武は間抜けた声を出してしまう。静香がどうしたって?
「……ごめん。やっぱり、いい。気にしないで」
しかし武が突っ込んで問う前に、出木杉は首を振って言葉を取り消してしまった。おかげでますます意味が分からない。
「しんがりは僕でいい。武君、太郎君連れて先に行ってくれるかい?」
「いいけどよ……」
変な奴だな。武はそこで思考を強制終了させた。元より自分は頭脳労働に向いていない。変に頭を働かせたって知恵熱が出るのがオチだ。
おい太郎、と声をかける前に、太郎は入り口に頭を突っ込んで覗き込んでいる。
そのうちゴロゴロと下に転がり落ちるんじゃなかろうか。武は慌てて太郎を小脇に抱えた。
「わーっ降ろしてよ、武兄ちゃん!」
「こら暴れんな!ったく、これだからガキんちょは」
まあ、自分も十二分にガキだけど。太郎ほど予想の斜め上に行く行動はしない筈だ。
太郎を抱えたまま狭い階段を降りる。後ろからカツカツて音がするので、ちゃんと出木杉もついてきているようだ。
「いよいよボス戦が近そうだね」
降りた先には小部屋があり。その奥には、大きな鉄製の扉が、ずっしりとその場に座していた。スネ夫の言葉が、皆の感想をそのまま表している。
「今更逃げ出す奴なんか一人もいねぇだろ。何が来ようが、迎え打ってやるだけの事だ」
そうは言ったが、武は一つだけ気がかりだった。自分の最愛の妹は、結局今に至るまで見つかっていない。
彼女とはもう、会えないのだろうか。
第九十二話
扉
〜終の地へと続く場所〜
ああ、息が、息が切れたの。