重く、重く。扉はまるで自分達を見下ろすかのよう。アンブレラのマークが刻まれたそれは、侵入者達をまるで見定めているかのようだ。
聖奈は扉を見上げる。犠牲の果てに行き着いたこの場所。自分達は何が何でも目的を達さなければならない。そうでなければ、健治達が報われない。
「……此処まで」
出木杉がぽつりと呟く。
「長かった。ずっと辿り着けずにいたから」
じっとその背を見つめる聖奈。出木杉は味方。本人の言を信じるならばその筈だ。
そしていつの間にか自分達の意志はのび太に委ねられている。彼が信じるならば皆が従う。無意識にその構図が成り立っている。
だから聖奈も、彼にあらぬ疑いをかけるつもりはない。
のび太が信じるなら、自分もそれに殉ずるつもりだ。しかし、根本的には味方であっても、秘密を抱えているか否かはまた別の問題なのである。
――この子、まだ何か隠してる。
さっきの“嘘”もそう。彼にはまだ何か、自分達に話していないことがあるような気がしてならない。
これもまたあくまで聖奈の勘だ。だが大抵、このテの直感というヤツは外れないものである。
「目的を再確認しよう」
のび太が言う。決意の目で扉を睨み据えながら。
「僕達が探すのはワクチンと抗ウイルス剤。出来れば他にも役に立ちそうな資料。そんでもって緊急脱出のルート。これが最優先なんだよね?」
「そうなります。……でも、のび太さん個人の気持ちも大事にして下さい」
分かっている。のび太が今一番にしたい事が何なのか。それを置いてでも皆を優先すべきと考えていることが。
だから聖奈はのび太の背中を押す。精一杯の笑顔で。
「決着を、つけたいんでしょう。大丈夫。私達はみんな、あなたに着いて行きますから」
セワシと――そしてドラえもんとの対決。真実を確かめ、親友との決着をつけること。それが何よりののび太の望みである筈だ。
「私達に気を使う必要なんかないですよ。だって、貴方は知るべきなんです。大切な友達の真実が、何処にあるのかをね」
「聖奈さん……」
のび太は少し、泣きそうに顔を歪めて――やがて、頷いた。
ありがとう、とその唇が動く。本当はちゃんと声に出したかったのだろう。
しかし、感極まるとなかなか言葉は形になってくれないものだ。
「僕もさ。やっぱ、知りたいよ。ドラえもんが何考えてるのか、全然分からないんだもんな」
まるでのび太の気持ちを代弁するように、スネ夫が口を開く。
「全部嘘だったなんて思えないんだ。自惚れかもしれないけどさ、確かに僕達は……仲間だった筈なんだ。人間とかロボットとか関係なくてさ」
「一応のび太の保護者役、だったんだよな、アレで。のわりに情けないし間抜けだし、肝心な時に秘密道具出せなくなって役に立たないパターンが殆どでよぉ。
ああ、ドラえもん自身がぶっ壊れた時もあったっけか?」
「雲の王国の時とかだよね。本当に苦労したよ。ぱっぱらぴー、とかエッチ!とかもう訳のわからないことしか言わなくなっちゃってさ」
「で、ネズミが出るたびに暴走すると」
「うわあイイとこなしだなドラえもんって」
スネ夫の言葉に武が、のび太が便乗する。彼らの中にある思い出。それは宝石よりも尊い日々だったのだろう。何にも代え難い幸福だったのだろう。
聖奈は羨ましく思う。彼らとそんな日々を共有できた、ドラえもんという存在を。
「僕はドラえもんのことよく知らないけど……のび兄ちゃんの友達が悪い奴な筈ないよ」
太郎が真っ直ぐな目でのび太を見た。
「一度友達になったら、何回喧嘩したってぶつかったって本当は友達なんだよって……そう言ったのはのび兄ちゃんだよ」
「そうだね。太郎の言う通りだ」
言葉を噛み締めるように、のび太は言った。
「ありがとう、みんな。大丈夫……僕、揺らいだりしないから。ドラえもんを信じてる。信じ続けたら、何かは変わる筈だもの」
願えば叶うほど甘い世界ではないけれど。
人の願う心に、力は宿る。世界を変えるのはいつだって人の強い意志だ。
「そういえば……出木杉さん、あと一つ探し物があるって言ってなかったかしら?最後の鍵……って」
「あ、そういえば。……それが見つかれば、世界が救えるかも…みたいなこと言ってたような。何なの?」
静香の言葉に続けるのび太。ん?と聖奈は思った。出木杉が口を閉ざす気配があったからだ。
正確には、言葉を探す一瞬の間。他の皆は気付かなかったかもしれないけれど。
「……情報だよ。ただ、ピンポイントで探すのは難しくてね」
言葉を選ぶようにして、出木杉は告げた。
「何でもいい。日誌とかファイルとかフロッピーとか……記録をとってそうなものは片っ端から集めてほしい。
実は僕もはっきりと分かってるわけじゃないんだ。最終判断が下せるのはセワシ君だけだから」
まただ。頭の横をチリチリと焼くような違和感。また、出木杉は嘘をついた。否、意図的に隠したのか。
情報の詳しい内容を知っていたのに言わなかったのだろうか。だが、何故?
みんなで該当する情報を探せば早いというのに、その内容を隠してしまっては、的外れな探索になりかねないではないか。
聖奈がそのあたりを突っ込もうとした時、ピーッと短い電子音が鳴った。スネ夫が鉄扉の横のスイッチを押したのだ。
「あれ?ロックかかってないよ。何でだろ?」
「上にはあんなギミックがあったのに、ですか?」
眉を寄せる聖奈。上のギミックが解除されていたのはまあ、C4爆弾の衝撃のせいだとしよう。しかし扉の電子ロックが、爆弾のショックで外れるとは到底思えないのだが――。
もし上のギミックか、坑道や隠し通路を介した複雑怪奇なルートが、機密を外に漏らさない為であるのなら。
この扉のロックこそ厳重にかけられていて然るべきだ。そもそもその為にこんな頑丈な鉄の扉を作ったのではないのか?
これもアルルネシアの策略の内なのか。何だか自分達の手の内も行動も全て見透かされているようで、気分が悪い。
ウィィン。
作動音ともに、扉が開いていく。その機械音に混じって、どす、と重たい音がした。
「……?」
目を凝らす聖奈。薄明るい、無機質な廊下が目前に晒されていく。廊下には、積み上げられたダンボールやらアンデットらしき死骸やらが転がっていた。
よって通路の奥は遮られてよく見えない。元よりさほど明るい照明ではないのだ。
だが。それでも分かることはあるわけで。
「扉を開けた途端、待ってましたと言わんばかりに御登場」
武がひきつった顔と声で言う。
「うん。RPGのお約束だよな」
「ジャイアンやめてよフラグ立てないでよ!」
「もう遅いと思うわよ、スネ夫さん」
焦るスネ夫に、うんざりした様子の静香。出木杉がふらつきながらも無言で銃を構え、太郎も刀を握った。どうやら自分の勘違いではないらしい。
そう勘違いならどれだけ良かったか。廊下の奥に、黒い塊が蠢いているように見える、だなんて。
どすん、どすん、と。怪物の典型と言わんばかりの重い足音を立てながら、何かが近付いてくる。
ぐしゃり、と。通路を塞いでいたダンボールがなぎ払われ、中に入っていた衣服や日用品らしきものを散らばらせた。
何であんなものが通路に、なんて考えている場合じゃない。なぎ払ったのは、毛むくじゃらで――鋭い爪の生えた獣の腕だったのだ。謎解きをしている暇はない。
やがてそいつの全貌が、露わになる。のび太が率直な感想を漏らした。
「……犬?」
犬。そう、それは巨大な犬だ。犬の化け物といえばまず、ドーベルマン達がアンデット化したケルベロスを思い浮かべることだろう。
だが自分達の前に現れたそれは、ケルベロスとはまるで違うイキモノだった。ケルベロスのように体毛は黒ではなく――黄土色に近い茶色であり。加えて大きさが比較にならない。
何よりも。そいつには頭が三つもあった。三つ首の犬の化け物――聖奈は思い至り、声を上げる。
「ティンダロスか……!」
資料にあったB.O.Wの一種だ。ケルベロスは、犬がそのままウイルスに感染した存在だが、ティンダロスはプロセスからしてまず違う。
うろ覚えだが確か――ウイルス投与された披験体の第二世代、であった筈だ。高濃度のウイルスを犬に投与した結果、雌犬が一匹だけ生き残り――その犬が出産。
そうして母親ごしにウイルスに汚染され、胎内で変態して生まれたのがティンダロス。異形の魔犬なのだ、と。
「がぅ……」
犬の視野は広いが、視力は弱い。だいぶ近付いて漸く、自分達を認識したのだろう。
足を止めた魔犬、その飢えた目が自分達を見下ろす。聖奈は冷や汗をかきながら、必死で思考を巡らせていた。
ティンダロスが近付いて来るまで、自分達が動けなかった理由。
威圧され、足が竦んだのもあるがそれだけではない。誰もがこのB.O.Wの特性を頭の隅で理解していた為だ。
こいつは視力は弱いが、動体視力はその限りではない。素早く動くものに反射的に体が動くのもまた本能だ。
つまり迂闊に動くと、反射的に飛びかかられる危険性があるのである。
「……ティンダロスは」
出木杉が口を開く。
「獲物とある一定の距離離れると、一瞬足を止めて真っ直ぐに飛びかかる癖がある。一定距離とは、約5メートル前後。それより近くても遠くても、突っ込んでくることは少ない」
「随分と詳しいのね」
「君達が持ってた資料にはなかったんじゃないかな。理科室の金庫の中に入ってたヤツだし」
静香の冷ややかな声に、淡々と返す出木杉。やはり金庫の中を攫っていったのは出木杉達だったか。安雄のことを思い出し、反射的に湧き上がりかけた感情を聖奈は抑える。
安雄を死に追いやったことを許すつもりは、ない。でも許されないことだったと彼らだって理解している。
そして悔いている。ならば自分達が今更どうこう言ったって仕方がないではないか。
何より今一番大事なのは、過去の贖いに時間をとられることではない。
「あと、ティンダロスはその実ネメシスと似た特性を持っていてね。多数の人間を相手にするのはあまり得意じゃない。
その代わり、一個人を認識しどこまでもストーカーするのは大得意なんだ」
「うわ、スケベなわんちゃんですね」
「でもティンダロスって雌らしいよ聖奈さん。このオリジナルのティンダロスは、って意味だけど」
「あらら」
まあ、出木杉が言いたいことは理解した。つまりこいつは、一人のターゲットを決めるまでは動きに迷いが生じる。
また、ターゲットを決めた場合、他が見えなくなるということだ。
「5メートル。だいたいそれくらい近付いたら、合図するから全員両脇に飛んで」
出木杉の案に、異論を唱える者はいない。今はとりあえず、研究所に入るのが先決だ。戦うには狭くて場所が悪い。
「奴が突っ込んできたらサイド抜けて一気に走るよ。いいね」
何度目になるかも分からぬ、綱渡りの始まりだ。
第九十三話
魔犬
〜ティンダロス〜
此処に一人、それが答えでしょう。