「始まりの始まりは、少しのファンタジーと冒険があるだけの、平和な物語。もう一つは、アンデットと戦う傭兵達の物語。
……それを見たある創物主の一人がね、その二つの世界をくっつけて新しい物語を作ったの。本当の始まりは、そこからよ」
アルルネシアは静かな声で、そう語った。
「その新しい世界を見た他の創物主達が、幾つもの新しい欠片を紡いだのよ。欠片の数は並行世界の数。
観劇者の数が思想の数となる。小説にゲームにマンガに音楽に……媒体は腐るほどあるわ。この世界もそうして始まったものの一つなのよ」
「な、なに?一体何の話をしてるの?」
「うふふ。魔女だけが理解できる、世界の真実の話よ。貴女はそれが知りたいんでしょう?」
静香は混乱する。確かに自分はそのような問いかけはしたが――目の前の魔女が何を言いたいか、さっぱり分からない。
「あたしは魔女よ。貴女も薄々気付いていたように、あたしは貴女が知らない真実をたくさん知ってるわ。
今貴女の目の前にいるあたしもまた駒ではあるけれど、それでも“魔女”なの。
人間には出来ないことが出来るのよねぇ。たとえば世界という箱を、外側から見る、とかね?」
世界は、一つの箱に例えることができる。箱の中の人間は自分が箱の中にいることが自覚出来ず、ましてや他にも箱があるなどとは考えもしない。
箱と箱が互いに干渉することは、ない。これらもヒロトが言っていたことだ。
その境界線を超えた視点を持てるのもまた、魔女の特権なのかもしれない。
「この世界は……箱の中の箱だとヒロトさんは言っていたわ」
静香は口を開く。
「そしてゲームマスターはセワシ君かもしれないって。どういう意味なの?」
「あら、いいのかしら?そんな大事な質問あたしにしても。言葉と真実が魔女の武器だって言わなかったぁ?」
「……っ」
おちょくるようなアルルネシアに、言葉を詰まらせる。
確かに、彼女にものを尋ねたところで、返ってくるのは真実とは限らない。なんせ自分達の最大の敵で、そもそも静香は彼女に捕らわれている立場だ。
「嘘を織り交ぜて混乱させたいなら、好きにすればいい」
暗に“いくらでも惑わせる”と示す魔女に、静香は真っ向から言葉を投げる。
「あたしはその中から見つけるだけよ。真実を」
それに実は嘘にさえ意味はあると静香は思う。嘘を吐くなら、それには意味がある。目的がある。
そこから裏の心理を読み解けばいい。相手が魔女だろうと人間だろうと、そこは変わらない筈だ。
「……勘違いしてるようだから教えてあげるけど」
すると何故だかアルルネシアは若干呆れたように肩を竦めた。
「【世の中の嘘吐きにはね、意味のある嘘だけ吐くタイプと意味のない嘘も吐くタイプがいるのよね。あたしはその後者。】余計な勘ぐりしても疲れるのは貴女の方よ?」
「え……ぇ!?」
何だ今のは。静香は自分の眼で見たものが信じられず、眼を白黒させた。
今、文字が。
真っ赤な文字がアルルネシアの台詞を形作り、くるくると踊って消えた。まるで漫画の中の話のようだが、静香には確かにそれが見えたのだ。
しかも、ただ赤文字が具現化されただけじゃない。
【世の中の嘘吐きにはね、意味のある嘘だけ吐くタイプと意味のない嘘も吐くタイプがいるのよね。あたしはその後者。】
【赤い文字】で語られたその事実を今、静香は当たり前のように受け入れ、信じた。
それが誰にも疑いようのない真実だと、聴いた瞬間理解したのだ。
何なのだ。他人を一瞬で説得させ、納得させた。今の【赤き真実】は−体?
「やだわ。ついつい伝家の宝刀抜いちゃった」
「な、何なの今の……」
「赤き真実。……まぁ、もうやらかしちゃった事を隠しても仕方ないわねぇ」
ティーカップを手でいじくりながら、溜め息をつく魔女。
「赤き真実は、魔術師と魔女だけが使える力。魔女や魔術師は人間より遥かに理解出来る真実の量が多いわ。
でも魔法で知った真実を“証拠を持ってきて立証しろ”と言われちゃっても困るわけ。
だって魔法には人間の物理的証拠なんて介する必要ないのよ?」
それは、そうなのかもしれない。人間の世界では、全て手順を踏まなければ真実を認定できないものだ。
否、本当のところいくら手順を踏んでも手違いは起こる。一度は死刑判決をされた人が訴えを起こし、冤罪が認められる――そんなケースがあるのは、つまりそういう事だ。
人間には本当の意味で、真実を閉ざす猫箱を開く力はない。いくら物証を重ねても、犯人が自白しても、それが100%の真実であるなどとは誰にも断じることができないのだ。
にも関わらず。人間は物証のあるものを真実、無いものを虚実にしたがる。というか、魔法の使えない存在はそれ以外に道が無いのだ。
「魔女や魔術師が真実を証拠ゼロで立証する。その為にあるのが【赤き真実】。なかなか便利な力よ。
【赤き真実ではこのあたしでさえ嘘がつけない。何故なら赤は真実のみ語る!
赤で宣言された事実を耳にした者は誰も疑えない……何故ならその全部が、箱の外側から認められた完璧な真実なのだから!】」
読者諸兄は既にお察しと思うが。【】で括られた文字は全て赤で語られた真実である。
赤い文字はくるくると静香の周りを踊り、消えた。なるほど。言葉と真実が武器――そういう意味かと静香は理解する。
「誰かの犯罪を確定させたり…潔白を証明するのに凄く便利そうね、その力。魔女がいたら警察も探偵も要らなくなっちゃうわ」
だって魔女がたった一言言えばいい。【この人は犯人ではありません】、【この人が犯人です】と。そうすれば万事解決だ。
まあ、裁判になれば証拠も必要になってくるだろうが――最初から誰が犯人で誰が犯人じゃないと分かっていれば、捜査は格段に楽になる。
「そうよ。だから魔女幻想……ファンタジーはミステリーの天敵なの。だって主人公の名探偵が活躍できなくなっちゃうでしょ?」
愉しげに笑うアルルネシア。
「でも赤き真実にも穴はあるの。というかルールの縛りね。いくらあたしが掟破りの達人でもこればっかりはできないのよねぇ。
つまり【赤き真実は自らの身の潔白証明には使えないのよ…ただし…それはこの世界に連なる世界のルールだけどね】。
それに【赤き真実には使用制限がある。その回数は魔女により、日により異なるわ。魔女側はその回数を他人にけして知られてはならないの】。まあ、こんな感じかしらね」
どんな能力にも不可能なことがある、という事か。まあ制約でもないと、いろんな意味で無敵すぎる能力だから仕方ないだろう。しかしこれでハッキリした。
【この盤面において、赤で語られた真実は疑う必要がない】。人間の静香にとってこれは大きなメリットだ。
いくらアルルネシアでも赤では嘘をつけないという。ならばその赤き真実を元に、思考を組み立てていけばいい。
無論、これにも落とし穴はある。例えばアルルネシアが【AさんがBさんを殺しました】と赤で宣言したとしよう。このまま受け取ると、Aさんが殺人犯です、で話は終わってしまうが。
魔女は“AさんがBさんを意図的に殺しました”とも“AさんがBさんを誤って殺してしまいました”とも言っていない。
つまり後者の場合は殺人ではなく事故だった可能性があるのである。赤に翻弄されすぎてはならない。難しいところだけれど。
「なら。あたしは貴女に赤を使わせればいいのよね。貴女との戦い方が見えてきた気がするわ」
面白い。静香は初めてそう思った。
刃を向けあい、弾丸を飛び交わすだけが真実ではないのである。
「復唱要求。“この世界のゲームマスターはセワシさんである”。…言えるかしら」
「いいわ。応じてあげる」
アルルネシアはニヤニヤしながら告げた。
「災禍の魔女アルルネシアの名において、赤き真実を行使するわ。【この世界のゲームマスターはセワシちゃんよ】。
それにしても……こういう展開になるとはね。貴女を捕まえたのは確かに遊ぶ意味もあったけど。
かの無限の魔術師と黄金の魔女のゲームを再現することになるなんて。退屈凌ぎにはちょうどいいかしら」
また新しい名前が出てきた。一体魔女やら魔術師やらはどれだけの数がいるんだろう。静香はちょっとうんざりする。
「続けて復唱要求よ。“この世界はセワシさんが遊ぶゲームである”」
「復唱を拒否するわ」
これまたあっさりとアルルネシアが言ってきた。
「あたしの話聴いてなかったの?赤には使用制限があるのよ?そう乱発させるわけないじゃない。質問はちゃんと絞りこんで頂戴」
アルルネシアはそう言ったが。実は“復唱出来なかった”可能性もあるなと静香は思う。復唱拒否。また曖昧ではあるが、これも一つ判断素材にはなる筈だ。
魔女が復唱を拒否する理由は二つしかない。復唱出来ないか、したくなかったか、だ。
復唱が出来なかったと仮定するなら、つまり今の要求と真実が見合わないことを意味する。
つまり“この世界はセワシの遊ぶゲームではない”という事だ。どこが真実とすれ違ったかは分からない。
しかし【この世界のゲームマスターはセワシである】ことは赤で確定されている。ならば恐らく、ゲームマスターはセワシだが遊んでいるわけではない。今までのセワシの言動から推察しても、これが正しいような気がする。
「…そうね、漠然とした質問を繰り返しても無意味だわ。復唱要求よ。“セワシさんはのび太さんの子孫であり、のび太さんが消えるとセワシさんも消える”。
もう一つ。“このゲーム盤を作ったのはセワシさんで、シナリオを作ったのもセワシさんである”。どう?これなら二つの赤で四回分解消できるわよ」
「顔に似合わずセコい真似するわよね静香チャンは。まああたしに言えたことではないけれど」
それにしてもアルルネシアは何杯紅茶を飲む気なのか。自分が見てる前だけで五杯はいっている。いい加減トイレに行きたくなりそうなものだが。
確か人間が一日に飲んでいい水の量は限られていて、腎臓の濾過機能を超える量を飲むと細胞が溺れて死の危険があった筈だ。つまり水中毒である。静香も俄か知識ではあったけれど。
魔女というやつは体の作りも違ったりするのだろうか。そういえばやたら長寿であるような話を聴いたような。
「そのまま復唱は出来ないわね。だって【貴女の知るセワシちゃんは、のび太ちゃんの子孫ではないわ。でものび太ちゃんが消えればセワシちゃんも消える】」
「え…?」
「そして【ゲーム盤を作ったのはセワシちゃんだけど、シナリオは一度たりとてセワシちゃんの思い通りになった事はないのよね】」
赤。確定事項。静香を混乱させるには十分だった。特に前の赤である。
セワシがのび太の子孫でないというのならそれでもいい。しかしならばどうしてのび太の死がセワシの消滅に繋がる?セワシは自らの消滅を覚悟でのび太を狙う?
真実を獲得する度。謎も増えるのは何故だろう?
第九十六話
真理
〜五目並べとオセロ〜
硝子越しの、君と僕。